村上春樹の小説の意味不明な部分というのは、神話や寓話と同じものちゃうかと思う。鼠と南瓜が馬車になるのなら、羊男が彼であってもなんもおかしくない。
カマドは古代の人には異世界への通路と考えられていて、シンデレラはいつも継母にカマドの側にいろと言われてたから世界の構造を変えられることが出来た。鼠とかぼちゃの馬車に乗って舞踏会へ行くことが出来た。ほぼ日のコラムで中沢新一はそのことをラッキーっていうけど、シンデレラがカマドの近くに居させられたのは、物語には必然だったからやろう。話の中にピストルが出てきたら、血は流されなければいけない。ホテルの部屋にある酒も、シーバスじゃなくてカティーサークでないといけないし、羊男はヤギ男ではダメ。全ての物事に意味はある。作者の意図するところ以外にも。羊ってイギリスかどっかでは何かを象徴してるんじゃなかったっけ。
で、その意味不明な部分で言おうとしてることも、神話と同じレベルのことを言おうとしてるんだと思う。
中沢新一も自分で言うてたけど、それは発見ではなくて昔からあること。それを分かりやすい言葉にしてるだけ。村上春樹も同じことをしてると思う。田口ランディも。宮崎駿も。
まず、気付くかどうか